撮れない風景3 ~リアルな声~ (東日本大震災被災地を訪れて)

さて、前回の最後に少し書いた「現地で出会ったおじいさん」からお聞きしたことを書いてみたいと思います。

お話をお伺いしたおじいさん。

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車を降りて歩いていると、こんなものが目に入ってきました。

最初、なんの落書きなんだろう?と思っていたのですが、よく見ると、復興について現地の方が書いた力強いメッセージでした。

「前より半分でいいから、この場所に住み続けたい」「家族と一緒に住みたい」

そんなメッセージが書かれています。
前のブログで「黄色い旗」の意味について書きましたが、それを知った直後だっただけに、余計にこの黒板から、感じることが多くありました。

すぐ隣で、なにやら作業をしているおじいさんがいらっしゃったので「これ、撮ってもいいですか?」と声をかけ、撮影させていただいたわけですが、当初から「現地の方とお話をしてみたい」という思いがあったので、勇気を出して、おじいさんに話しかけてみました。

それが、冒頭の写真の方です。

果たして声をかけて良いのだろうか?
失礼なことを聞いてしまったらどうしよう?

と思ったのですが、結果としてお話を聞けて本当に良かったです。

失礼ながら、お名前をお聞きしなかったのですが、「だいよし丸」の船長さんということはお聞きしましたので、以後「船長さん」とお呼びしたいと思います。

船長さんは「運が良かったから生き残っている」とおっしゃっていましたが、船長さんは、震災当日も、この場所で漁の片付けと準備をされていたそうです。

あまりにも大きな地震だったこともあり、心配した娘さんが車ですぐに駆けつけようとしたらしいのですが、道路はどこも大混雑していて、なかなか船長さんの所にたどり着けなかったようです。

しかも、道路の混雑・渋滞は「緊急車両によるものだった」ということです。

あまりにも大きな地震だったために、救急車、消防車、警察、ガス会社などの車両が一斉に動き出したことも原因だったのかもしれないとのこと。

また、現地の方も「津波がくる!」ということで、一斉に車で高台や遠方に逃げようとしたため、緊急車両を優先していた一般車は、半ば立ち往生してしまい、道路という道路が車でいっぱいだったそうです。

それでも、船長さんの娘さんは、携帯電話で色々な方と連絡をしながら、少しでも空いている道を選んで船長さんのもとにかけつけられたそうです。

「娘が道路の事情を理解していなければ、きっと二人とも津波にのまれて死んでいたかもしれない」

と船長さんはおっしゃっていましたが、それが生死の境になったことは事実のようで、

「ほら、向こうを見て。あの道路を左に行った人の多くはみんな津波に巻き込まれた。俺たちは右に行ったんだ。右に行った人の多くは助かった」

と、衝撃の事実をお話されました。

左に行くか、右に行くか。

その一瞬の判断と、その時持っていた情報の差で生死がわかれてしまうなんて、なんともやりきれない気持ちです。
でも、それが現実だったんだなと思うと、震災に対する備え、今後の人生観など、今の自分に大きな影響を与えていただいたお話でした。

また、津波の水がひいたあとは「盗難」被害が相次いだといいます。

漁の道具などを保管しておいた小屋は流されてしまい、津波で道具もバラバラになってしまったそうですが、近所の方の協力もあって、ある程度、漁の道具が船長さんの手元に戻ってきたそうです。

戻ってきた道具は、小屋がないので、野ざらしにして置いておくことになるのですが、
「昨日せっかく引き取ることができた漁の道具が、今日来てみたらなくなっていた」ということが、頻繁に起こったようです。

船長さんは、「これではせっかくの道具がなくなってしまう」ということで、自力で小屋を建てて、そこに道具を保管されていましたが、小屋ができあがるまでの間は、盗難被害にあうことが、とても辛かったとおっしゃっていました。

生死をわけた話、盗難の話など、実際にそれを体験されている方から直接お話を聞けたことは、自分にとって、大きな財産となりました。

いろいろと聞かれたくないこと、話したくないこともある中で、丁寧にお話をしてくださった船長さんに感謝です。

船長さんの船は、近くの方のご協力により、手元に戻ってきたようで、今現在も「だいよし丸」として、主に赤貝の漁に出られているとのことでした。

しかし、今、こうして船長さんのように、漁に出られる環境にある方は、かなり少数だそうです。

ちなみに、船長さんも、避難所に身を寄せていらっしゃるとの事でした。

そして、途中の黒板の写真ですが、船長さんの娘さんが書かれたそうです。



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